【批評祭参加作品】迷子論序説/岡部淳太郎
 
ったものは常に陽であり、「意志的な迷子」・社会ならざるもの・生活ならざるもの・非実用といったものは常に陰であるからだ。そして、陰の側にあるものは陽の側にあるものの鏡として作用しておリ、陽の側が大きければ大きいほど、その反作用として陰の側も大きくなるのだ。こう考えると二項対立というものがすべてそうであるように、陽の側だけ、あるいは陰の側だけで独立して存在しうるのではなく、陰陽合わせて初めてひとつとなるのであり、「歩行の意志」も「意志的な迷子」も、どちらか一方が特権的な力を持ちうるわけではないのがわかる。それは歩行というものの違った形態であるというに過ぎず、時によってどちらの形態を選ぶかはそれを行う者
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