【批評祭参加作品】原罪と救済のパレード(反射熱 第五号)/古月
にする。このイメージは最終連の描写の巧みさもあって、伊月りさの詩を離れたあとも不思議な余韻を持って持続する。
つぎに、大村浩一の詩である。そこにあるのは一転して、人のいない光景だ。詩中の「私」は、生活の中にあるふとした光景に触れて、宗教者が天啓を得たような、理屈ではない救済を感じる。それは奇跡的な偶然が生み出した人間不在の救済だが、人間の生活の中にある救済である。詩中に描かれた様々な事物には背景があり、そこには「人の営み」があるのだ。そこに気づくと、この詩はいっそう味わいを増してくる。
さて、ここで一つ飛ばして、そうした「人の営み」から一転して自然界に目をむけ、「世界の仕組み」
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