真新しい夏/シンメトリー/aidanico
 
いいような遣り取りだった。きぼうのいろもぜつぼうのいろも案外そんなものかも知れない。電子機器では殆んど写し取ることができないような階調の、ペールでもパステルでもない一瞬の表現でしか現すことのできない色だろう。強いて言うならば、褪色の度合いが前者はとても短く、後者はいつまでたっても拭い去ることの出来ない沁みの様なものだろう。どんな心象風景も言葉にしてしまえば陳腐なのかもしれないけれど、答えないこともまた野暮である。かんがえるこのじかんにいみがあるのだよ、と、答えも待たないままに口火を切られるのを、ほんとうは今この瞬間もまっている。


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