「彼」/草野大悟
 
彼は湖底の岩影で思索する。

湖は、九州がすっぽりはいるくらいの円形
水深500m、水温26度、pH8.0、硬度14
水はあくまで硬く、透明な生態系をなしている。

たしかに、ぎっちりと同じ匂いをかいだ。
甲殻類を食い、侵入者は噛み砕いた。
ずっとひとりで暮らしてきた。

まわりには
派手なレモンイエロー群や
フェアリー群や
メタリックブルーのテリトリー固執群がいた。


必然であった。
同じ血の匂いをかいだ。
何度も何度もディスプレーを繰り返し
彼女は受精卵を含んだ。

1ヶ月がたった。
ヨークサックをつけた仔魚たちが見えた。
1ヶ月と1週間がたった。
仔魚たちは稚魚となり
彼女の口腔から泳ぎ出た。

動物プランクトンを食うころになると
彼らは口腔に戻らなくなり
いつのまにか
彼らも彼女も
彼の前から姿を消していた。


彼は今日も思索する。
500mの水圧が
頭部のコブを肥大化させ
彼をいっそう哲学者めいてみせる。


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