大監督の映像も抑える中国小説家余華の筆力/里欣
余華の『活きる』日本語版を読み、一度見た映画版の『活きる』をもう一回見ることにした。
張芸謀監督に誘われた余華も脚本制作に参加し、映画版に小説にない要素がいくつか加えられていた。毛沢東像が鮮やかに写り、歴史や文化(地方劇)の雰囲気が伝わってくる。だが、なぜか、余華原文の味を出しきれていない。名優葛優、国際女優のコン・リーも出演、ずいぶん前のカンヌか、どこかで国際映画祭で受賞しながら、わたしにそのような感覚を与えた。
それはなんであろうか。
文字の間に流れる雰囲気?
余華が家族や命に対する描写は特別な濃厚さ?
たとえ日本語版で言語本来の特質による損失が起こっても、流れているもの。
天下の大監督の映像も抑える小説家余華の筆力に、ただ感嘆したばかり。
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