現代詩を書いたわけと書かなくなったわけ/KETIPA
 
て、三ヶ月ほど経っている。現代詩に失意を感じているなら、こんな文章は書かない。まだ現代詩が心を揺さぶってくれることを、どこかで期待しているのかもしれない。でもそれが「現代詩」である以上、こちらがそれを「現代詩」として読んでしまう。そうなると、やはり言葉達はさらりと頭からこぼれ落ちていって、本質的な芯や核が残らないままページを閉じてしまうだろう。それでは、詩に対して、順番を狂わせた辞書を読んでいるのと大差ない感想しか抱けないのかもしれない。


「現代詩」を、詩として読むことは、誰にでもできることだとは思っていなかったけれども。
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