詩の場に願うこと/白井明大
(だからといって、奇抜なものがよい、ということではなくて、奇抜でも、平凡でも、どちらでも書きたいようであったらそうがよいように思え、むしろ、「どこかで見たような気がする」と思われる詩に、いい詩があるんだと言う詩人もいる)
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詩の場は、ドキドキしながら、それでも勇気をふるわせて、えいっと詩を発してくる、そのときのその詩人を、そしてその詩人の詩を、初々しい緑のうつくしさを見つけるような目で、迎えられるものであってほしいと願う。
その詩には、詩人の心のうごきそのままが、表われようとしていることに、細心の注意を払えるような、そうした場であってほしい。
葉が生い茂る木の枝のどこかから、軽やかな鳥のさえずりがきこえる、その声の主はどこの枝にとまっているだろうと枝枝をさがすときのような、慎重で、なおかつ、期待に胸をたかまらせるような、そんなまなざしをたたえる場であってほしい。そう願ってやまない。
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