荒地にて/徐 悠史郎
 
にカタを付けたいという内的・外的要請の中で、荒地派は歴史化され、名作のように戦後詩を読むということがなされている。それはそれとして一つの現象として見るべきだ。だが、荒地派の活動は本当に、いまのわたしたちにとって用済みのものなのだろうか?そこで掲げられた理念や詩への態度は、もう不必要なものなのだろうか?
 荒地派の活動は、例えばウィトゲンシュタインの梯子のように、打ち棄てられるべきものではないのではないだろうか。それはまだ入用な梯子なのではないか、という気がしないでもない。


   ‘Oh, keep the Dog far hence, that's friend to men,
  
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