雨が降って春が溶けてしまう前に、街へ出よう/木屋 亞万
想像の桜はもっとぼんやり柔らかかったのに
僕の目には視界を占拠する粒が、桃色の粒として、
眼球の膜の中まで押し込まれてきそうだった
最近はほとんど写真でだけ桜を見ていたから
自分の目の画素数を少々侮っていたらしい
感性を解放するということは
世界を感じることであって
つまり自分を空っぽにすること
よく響く打楽器になることだ
涙を流さなくても、
大袈裟な反応を示さなくても
世界が染み込んできたら
空っぽの固い殻の心は浮き上がる
それを感動と呼んでもいいと思うのだ
楽しげな場所にいると、
楽しさ余って寂しさ百倍になる
楽しさの終わりを避けようとする意思が
[次のページ]
戻る 編 削 Point(5)