人が自由を奪われるってのはね、生きていても生きている感じがしないとかそういう体験の恐怖なんだと思う。/石川和広
 
感じじゃなくてさ、人間が苦しみや加害や被害から離脱できるとしたらそれはもうちょっとそういう魔術的なものとはちがうもののような気がするんだ。もちろん人間には物語りや言葉は必要なんだ。

けど、くさい言い方になるんだけど、それは「それでも人生にイエスという」ってフランクルはいったけど、じわじわと湧いてくる肯定というか生きている感じであり、それへの信頼であり、それが少なかったりすることが誰でも辛いんじゃないの?つまり自らの生をいろんな事情で肯定しがたいことが、あらゆる被害感情やいじめややっかみや苦しみの根底にあるんじゃないかなと。

すません。曖昧で。話ずれているかな?でもこのまま話すね。

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