RANRARARAN氏へ とりあえずうかうかと釣られてみたまで/山田せばすちゃん
と改作の区別が付かないし、大体最初に出した子規居士が堂々と三句目字あまりやらかしてるじゃないかよ、などと突っ込みたくなってしまうのだ。
他にもこの筆者の歌には
禁断は男や女のよろこぶねどこ毒は咲かせり赤き切り花
だの
熱病ランナー肺に熱風、血は沸騰。されども着かぬアラスカのゴール
だの
韻律ではないところの「調べ」とやらに忠実であると推定される歌はままあるのだが、「調べ」とか言う独自の概念持ち出して文法的な誤謬を正すと「調べ」が損なわれるので変えません、という主張はなんだかとてもあいまいで勝手気ままな言い訳とされても仕方ないんじゃないの?って気もするし、それが「詩の自由」だっていうんなら勝手にすればいいと思うよ、でもそれだったら文法の起源がどうの子規がどうのと何の関係もない話を言い訳に持ち込むのもどうかとは思うのだ。
文法的に正しいかどうかという問題は詩が詩である前に日本語として伝わるかどうかという、いわば詩以前の問題なんじゃないの?
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