永遠に帰するポエジー 〜蛾兆ボルカ「はちみつぶた」について〜/白井明大
この息子固有のパーソナリティの、ある地点への到達だ。その到達までを父=話者が見つめ得たからこそ、《》内の「カタコト語」→「大人語」翻訳とは別個に、「」で括られた第五連に辿りついたといえる。また、この第五連のまなざしの確かさを支持するのは、第七連の「なるほどね。/と、私は言う。」だ。聞き手としてのあいづちであるのは第三連と変わりないが、「なるほどね。」にはより多くの含みがある。この第七連の二行は、息子の到達を受け取ったことの証として、第六連までを受けて置かれている。
では、第五連が、息子のパーソナリティの到達を確かめる詩行だとして、なぜ二人の関係性が、時間の流れの外にはみ出るのか。
一つ
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