飯島愛の死についての弟の見解/ぽげ
 
された」

これは比喩ではない。

飯島愛を名乗る以前の荒れて遊びが過ぎたころの自分の業に殺されたのだ。

 

ドラマ版池袋ウエストゲートパーク物語を俺は思い出して、戦慄した。

テリー伊藤や中山秀征の発言の意味もこれで合点がゆく。

飯島愛の人格はそれ以前の人格とは乖離した、死に物狂いの努力で勝ち取った人工的なものなのだ。

彼女の言う「あいつ」とは、過去の自分のことに違いない。




自業自得、因果応報。

表でどれだけ善人面しようとも、やってきたことの報いは必ず来る。
人を苦しめたものは自らが苦しむ。
逃げても死んでも無駄だ。
死んでからも責め続けられるのだ。

そして俺は修羅となることを選択したのだから、叩きのめされることになるのは当然のことだ。
俺はそれを受け入れる。
俺は闘いそのものが快楽という戦闘マニアだからな。


 

釈迦はまったく正しい。
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