折り返しのある男/atsuchan69
きくかけ離れているのを十分、肌身で感じていた。男はタクシーが信号待ちで停まっているあいだに、ふと窓の外を眺めた。ちょうど見慣れた交差点のあたりだったが、卒業式へむかう親子を目にした。「まるでレミオロメンの歌でも口ずさみたくなるようなロケーションだがや」運転手さんはそう言ったが、男は、レミオロメンを知らなかった。「ちょっと、おみゃあさん。レミオロメンも知らせんなんて、たぁーけか。そりゃあ、天地がひっくりけーるくらいでえらいことだわ」妻は馬鹿にするが、知らないものは知らないのだから仕方あるまい。なのでトラウザーの裾に折り返しのある男は、さっそく話題を換えた。「まあひゃあ、桜の季節だわね」
そうして男は、中西圭三を知らなかった。いや、そればかりかジョーダン・スパークスもクリスティーナ・アギレラさえ知らなかったのである。しかしそれが彼の生活にあえて格別の影響を及ぼすということではなく、ただ美しい天使たちの歌声から遠く耳を塞いでいるだけの話という事実にすぎなかったのだ・・・・。
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