修羅を読む(10)/Giton
 

   
■は、言偏に可


 上手に説明できないのですが、この詩は、周辺の他の詩と比較してみると、影のない希望と静かな明るさに満ちています。賢さんにとって、法華宗の信仰は、そういうものなのだなと思いました。(よい例かどうか分かりませんが)ちょうど、ヨーロッパ人にとって、ゲルマンの精霊信仰に対して、啓示宗教であるキリスト教の信仰がもたらしたような役割を、仏教のある信仰が持ったのではないか、という仮説をもつのです。
 そして、基層にある民間信仰と、青年時代から、いわば洗礼のように与えられた仏教なかんずく法華経の信仰、このふたつの層が、妹の死という深い傷痕の処理をめぐって相剋してゆくのではないか。というのが、私の現在の問題意識です。

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