ねぇ、それはなんなの?(謝罪にならない謝罪と僕のポエトリーリーディング感)/プル式
 
で勢い良くでた水で洗うか、バケツにためた水でじゃぶじゃぶ洗うか、という事ににて、勢い歯切れよく流れるのは確かに心地いいが、しみ込む間が無い(無いとは言い過ぎだが、筆者はそう思っている)のに対し、バケツは、もどかしく、心地よくないかも知れないが、じっくりとしみ込む。詩の朗読で目指す心地よさは、音の心地よさよりも詩の内容であってほしい、と、僕は思っている。だからこそ、性とか勢いとか、そういう、衝撃を与える事が強い物に頼らず、しみ込む詩を目指してほしいと思った発言なのだ。多分、性とか勢いというのは、入り口が判りやすいだけで奥がそこはかとなく深く、どんどん先に進めばしみ込むのかも知れない。今それが出来ない
[次のページ]
戻る   Point(7)