宗教のための宗教とは(1)/生田 稔
 
人たちはそう言いたいのである。私も務めて信仰と善に励みそうできるように渾身の努力をしてきたその人たちの仲間である。仲間を褒めることは簡単である。
 だから私たちの仲間にも沢山の美点がある。私達は人としてそう安っぽい人々であるとは思はない。でも私たちは自分たちだけ生き残るような超善人であるとは到底思えない。救われない人々が救われてはじめて、その宗教は価値があるのである。救われないものと救われるものとを二つに分けてしまうのはどうであろう。救出とは最大多数の最大幸福を意味せねばならない。イエス・キリストはキリスト教の王であるゆえにキリスト教をお救いになることが本筋である。それからほかの宗教にも手を、その救われたキリスト教を土台としてほかの宗教を救われるべきではなかろうか。あまり長いと読みにくいと思いこれぐらいに今日はしておく。
 

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