荒川通り3丁目/リーフレイン
 
お披露目はするけれど、盗られては大変」とばかりに、大勢のおなご衆がにこやかに見張りに立っていたそうだ。
 松山様は戦後の農地解放で没落してしまい、今ではその赤いお社だけがぽつんと残るばかり。
嫁ごのご実家だった材木問屋もとうに左前となり、晩年の奥様は借家住まいで亡くなった。お手伝いさんが一人、ずっと一緒に暮らしていた。

敬三さんの家の前
杉さんという名の男が毎日立って見張っている。
敬三さんの息子は医者で、杉さんは息子を敬三さんの息子の病院で診てもらっているときに亡くした。
たった一人の息子で、大学を出してやって、立派に就職して、かわいい嫁さんをもらって、かわいい孫が産まれた時だった。杉さんの息子は1週間高熱が続いて死んでしまった。 ただの風邪だと言われていたのに。
嫁さんは実家にもどってしまい、孫もつれていってしまい、杉さんの家は火が消えたように寂しく、悔しくて、どうにも気持ちをもてあましたあげくに、敬三さんの家の前で怖い顔をして立つことにしたらしい。
1年すぎて、2年すぎて、7年たってもまだ、敬三さんは杉さんの怖い顔をみて暮らしている。

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