冷戦のアナロジーとしての日本野球/がらんどう
はソ連から顧問団を迎えるなど野球の発展に力を入れ、日本球界は1962年キューバ代表に屈辱的敗北を喫す。これがいわゆるキューバ危機であり、この際にキューバ寄りの発言を行った社会党のアサヌマ委員長は巨人ファンの青年に刺殺されることとなる。
1966年、ドラフト制導入に反対する勢力を一掃するクーデターである文化大革命が起き、空白の一日により権力を掌握したエガワ・スグルは当時の第一書記コバヤシを粛清し阪神へと追放する。
1969年には球界の黒い霧事件が発覚、これにより読売から資金提供を受けていた時の総理大臣タナカ・カクエイは逮捕されることとなる。これに伴い1970年のよど号事件、1972年の浅間山荘事
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