冷戦のアナロジーとしての日本野球/がらんどう
1989年にベルリンの壁が崩れたとき、すでに日本野球もその歴史を終えていたのである。
太平洋戦争終結後の1946年に早くもプロ野球ペナントレースは再開された。戦後の復興の中で連盟加盟の8チームの他に2チームが加盟を申請するが、この申請を連盟は却下する。しかしこの際マッカーサーから共産主義への防壁として新リーグ構想の話を持ち掛けられる。1947年、これに乗る形で連盟入りを却下された2チームにて国民野球連盟が結成されることになるが、連盟ほどの支持を集めることは出来ずほどなく資金難によって頓挫することになる。
1949年、ショーリキー・マツタロウが日本野球連盟のコミッショナーに就任し2リ
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