喪失としての時間−「存在の彼方へ」を読んでみる13/もぐもぐ
 
たが、言われていることは単純なことである。つまり、時間というもの、それは誰の目にも見えず誰にも触れることができない。けれども、「老い」という形で、それは目に見える「跡」を残している。私たちは「経過している時間」そのものを、リアルタイムで捉えることはできない。けれども、「老い」という「痕跡」の形で、私たちは確実に「時間」が「既に過ぎ去ってしまっている」ことに「気づく」のである。


それでは、レヴィナスは、何のためにこのような「当たり前の事実」を持ち出すのだろうか。

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