暴力と責任、若しくは<善悪の彼岸>−「存在の彼方へ」を読んでみる11/もぐもぐ
」色がどうしても抜けないので、記述している内容以前に文体だけで拒絶感を持つ人も多いようである)、指摘している事実はほぼ完全に共通のものである。
レヴィナスは「存在の彼方へ」の中でも、ニーチェの名にさりげなく言及している(「超越論的還元をおこなうには、こうした括弧入れだけで十分であろうか。十分ではない。そのためには、ニーチェの詩的エクリチュールのニヒリズムにまで至らなければならない。・・・言語を拒む哄笑にまで至らなければならないのだ」(p35)。「責任」等を説明するためには、<語られたこと>、言葉のレベルでの善悪を論じるよりも、それ以前的な実際の「威力」の方を見つけ出さなければならない、というような趣旨だろう)。同じ旧約聖書に重きを置いた思想家として、また師であるハイデガーの思想の根幹にもなった思想家として、レヴィナスにおけるニーチェの影響は割合大きかったのかもしれない。
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