単純な犯罪/木屋 亞万
叩く
右鼻も詰まれ、詰まってしまえと思いながら、口呼吸に切り替える
苦しい、息が、口で息をすればなお、酔ったように吐き気が襲う
看護師が私を呼ぶ声がする
「はい」と喉の先端を使って返事をした後、
重いまぶたをぐっと押し上げて、それでも半開きの眼を頼りに
大きくゆったりと息を吐きながら診察室の前へ歩いていく
視界の隅に純色の赤いコートが移りこんだ気がする
待合室を出るときにテレビの近くを通った
スタジオで語らうキャスターの一人がアップになっていた
「香水のつけすぎは、単純な犯罪ですよ」と男の笑うのが
離れていく待合室の中から背中に投げかけられてきた
私にはその男の声すら遠くに思えてならなかった
戻る 編 削 Point(5)