パンクについて/捨て彦
ボケとの話がかみ合わなかったのは、ウスラあほたれが「パッケージとしてのパンク」を語っていたのに対して、僕はアチチュードとしてのパンクを語っていたからだ。そして、僕は本来パンクというものはアチチュードとして語るものだと思っている。
だから僕は音楽のみならずあらゆるものにパンクを見る。山本直樹にパンクを見るし、明和電機にパンクを見るし、橋本知事にパンクを見るし、隣にいるヤツの発言にもパンクを見るし、もちろん詩の中にだってパンクを見る。フォーラムの中でもパンクを見ることは多いし、僕はここで詩を見るときはいつもそうやって見ている。ファンシーだったり、ヌルかったりするものよりも、荒々しくて、どこか不安定で、とても刺激的で、そういうもののほうが僕はとても刺激されるし、何より面白い。そういう意味ではパンク好きってのはとても新しいもの好きでミーハーだったりする。
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