レヴィナスの芸術哲学−「存在の彼方へ」を読んでみる9/もぐもぐ
のはそのような「対象」性、「知覚」を欠いており、むしろその際の「感覚」の乱舞こそが、美的効果として現れるのである。
恐らく、哲学的なイメージというか前提として、五感(視覚とか聴覚とか)は、「知覚(認識)」に「仕える」ものであるというような考えがあるのだろう。そして「知覚」というのは、何かをある「対象」として把握すること(「これは〜である」、個物として把握すること)であって、通常はそのような「対象」の把握のために、五感が用いられると考えられているのだろう。ここではいわば、五感は「知覚(認識)」のための単なる「道具」として、機能主義的に捉えられている。
それに対してレヴィナスは、単なる機能に還元さ
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