現実、夢、リアリティー−「存在の彼方へ」を読んでみる8(2)/もぐもぐ
 
とすることもできる。けれどもそれは帰ってくる。抹消(取り消し、se dedire)し切れない「懐疑論」のように、その「リアリティー」は回帰してくる。私はそれに応じるしかない。そして応じれば応じるほど、その「リアリティー」は私の「現実」として、私を「強迫」するのだ。
(「責任は諸連関や諸原理をひっくり返し、内在性の秩序を覆し、そうすることで、存在することの外で、<無限>を翻訳するのだが、責任は肯定的なものであって、果たされれば果たされるほど増大してゆく・・・清算されるに応じて、借財が増えてゆくのである」(p43))


私自身、このレヴィナスの語る「責任」のイメージを明確に捉え切れてはいない。後論を読み進むにつれて、その概念や意味をより明らかに出来るかもしれない。それを期待しながら、再び先へと、ページを捲っていくことにしたい。
ここまで論じた内容は、主に、本文の「<他者>に対する責任」と題された節の内容に対応するものである。次の節は「<存在すること>と意味」と題されている。また長らく直接の検討を飛ばしてしまった「主体性」の節についても、同時に検討をすることにしたい。



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