「大胆」な「懐疑論」と異なった「リアリティー(現実)」−「存在の彼方へ」を読んでみる8/もぐもぐ
 
恐らく懐疑論が論理学的に自己矛盾を引き起こすからということなのであろうが(「たしかに、論理学は懐疑論のうちに矛盾を聞き取る」(p32))、論理学的な自己矛盾は果たしてそれほど「大胆」なことなのだろうか。ヘーゲル弁証法を待つまでもなく、「矛盾」的な表現は、私たちの日常においてはしばしば多用されるものではないのか。
例えば、憎らしいほど愛しいとか、喧嘩するほど仲がよいとか、そういった言葉を言うことはそれほど「大胆」なことだろうか。それとも、「論理学」上の「矛盾」だけは、それと別格だと考えているのだろうか。

しかし、「懐疑論」の「大胆」さは、懐疑論の命題を次のように置き換えてみれば、ある程度感覚
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