<SUN KILL MOON>/ブライアン
 
覚作用は劇的に変化した。いつしか触れることから遠のく。触覚の限界は視覚である、と言ったのはデリタだった。けれど、視覚は一人歩きした。視覚は触れない。触れようとはしなかった。
 月は自らを語る。けれど、月光を語ることはないだろう。月は、荒廃した土地を語る。その荒廃した土地に反射する光についてなら、語るかもしれない。「他人だった自分」が放射される。

 あの日、「静寂」は確かにあった。渋谷、センター街。映ったのは他者だった。それを見る「自分」だった。そこに「静寂」はあった。求めていた「静寂」とはだいぶ違う。けれど、時とともに変わり続けるのだ。それくらいの誤差は不可抗力としよう。ビルとビルの間の月。取り残された果実だった。未発達で、すでに成長することも出来ない果実。それも「他人だった自分」だ。始発に乗り遅れないようにスクランブル交差点を走った。疎らな人。息が切れた。体はやはり疲れていたのかもしれない。当時の記憶など、今語られる御伽噺でしかない。

 「未視感」を覚えた月は、他者が放った自己なのだ。鏡に映る「自分」とは違う。落ちてくる。「他人だった自分」は記憶を捏造する。


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