自由意志と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる7/もぐもぐ
には半ば必然的な道のりである。個人の「自由意志」がどのようにして拘束されるのか、そのような拘束が可能なのか、「倫理」について論じるものは必ずやこの点について一定の説明を与えなければならない。
この説明は、原則的には、「自由意志」概念の内容規定の変更によって行われるより他ないだろう。「自由意志」を古典的な「第一原因」と見なせば、そこには「絶対的自由」(例えばサルトルが語るような)があり、如何なる外部的権威もそれを拘束することは不可能な筈である。「倫理」を語る者は、「自由意志」が「第一原因」とは違うものであることを論じなければならない。例えばカントは、自由意志を、理性の立場からする自己拘束の「可能性
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