自由意志と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる7/もぐもぐ
 
(その「身体」が「客観的」に見てどのような「性質」を持ったものであるか。即ち、「〜である」という「定義」)の問題であった。「自己認識」はこの「身体」やその他諸々の「存在者」(の「定義」)を認識する。
他方、「自己認識」は、「存在者」の「存在」(その「存在者」が、抽象的な「定義」でなく、現実具体的な個物として「ある」かどうか)の認識でもある。
更に、「自己認識」は、「自己認識」自身の認識でもある。この場合実は、この「自己認識」は「時間」として顕れる。

だが、このように定式化された場合、実は一つ難問が生じるのである。即ち「自己認識」は、究極的には、第三番目に明らかにされているように「時間」な
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