「割り切れなさ」と懐疑論−「存在の彼方へ」を読んでみる6/もぐもぐ
 
。それにもかかわらず、多くの人は、「私は『真理は言うことが出来ない』という真理を言う」(A)という最初の方の文にも「自己矛盾」を感じる。ここで感じ取られている「自己」とは、いったい誰なのか。)

レヴィナスは、懐疑論のようなものに言及することで、「言外の意味」として浮かび上がってくる「誰」、矛盾的な「自己」について検討しようとしている。

私の理解は以上のようなものである。


非常に曖昧で、厄介な議論だと感じられる。

「〜である」という「断定」は、私の「生死」という「利害」を反映したものである。
この「生死という利害」(=「存在」)とは別のあり方(=「超越」「存在の彼方」)
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