ルネッサンス/aidanico
 
付けるのだろう。それでなくても太陽が嫌になるくらい熱く地面を焦がしているというのに。今はちょっと昔のように烏も鳴かないし屋台の音色だって聞こえないし時間を指し示す明確な「音」というのは無いけれど、時計の針がいくら回ろうが空が真っ暗になることがない。見上げれば常に灰鼠の空がそこには在る。時々この世界が映画のように停電をして真っ暗になって終えばよいと夢想することがある。明らかに不可能で自分自身ですらいざとなると困窮するであろうという状況を思い描くのは、絶対にそうならない確信があるからだ。決して墨のような黒の世界が訪れないのを知っているからだ。だからこそ非現実に憧れ、現実を憂える。現実と非現実とは時に薄
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