悪意の在り処/岡部淳太郎
悪意を取り入れてはそれを悪意として吐き出すのだ。見かけ上どんなに美しく陶酔してしまいそうな詩であっても、その中には悪意が毒のように盛ってある。詩的精神とは悪意の交叉する場であり、ひとりひとりの書き手の中こそが悪意の在り処であるのだ。
私はまたしても歩いている。残暑の厳しさはいっこうにおさまる気配がない。様々な人が行き交う交差点で、私は立ち止まって汗を拭う。どこか遠くで甘い抒情が鳴り響くが、私はそちらに眼を向けることはない。私はただ、昔と変らずにいまも自分自身の中を見つめているのだ。外から入りこんできた悪意とそれに刺激されて私の中からわき出てきた悪意が、私の心の中でせめぎあう。私はもう一度、倒れるまで歩きつづけてみようと思い始めている。
(二〇〇八年九月)
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