ある日のデッサン/かんな
 

一人称にわたしを選んだときに、わたしの中で何かが定まったような気がしたことにも気づかずに生きてみました。誰もが等しくも、そんなに愛おしくもないけれど、立ち止まる分には時は同じように流れるみたいに。

言葉のかたまりを作るという行為を知ってからかなんなのか、生きていく上で必要だったのか、それはどちらともつかないですけれど、無理をして言葉をさがすとかいう行為を覚えたような気がします。そんな真昼は。

イスの曲線のようでいて、あの日見た草原のようにフラットなことばを大切にしたい、そんなことしてほんのり立ちくらみを起こした時には、大丈夫ですよと笑顔で応えてみせます。あくる日の朝に。

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