「感性の論理」はどこからくるのか---詩の非論理的な領域を読むということ、詩の非論理的な領域を書くと.../N.K.
 
詩を書くものたちに自己の「感性の論理」を、つまり「感性」でありながら「論理」であるものを得させると思わされるのである。それはちょうど大岡がノヴァーリスの断章とともに言うように「すべての見えるものは見えないものに、聞こえることは聞こえないものに、感じられるものは感じられないものに付着している。おそらく考えられるものは考えられないものに付着しているだろう」17ようにである。

1.具体的には大岡信「詩と言葉」『詩・言葉・人間』1985
 2.同上, p.127で以下のように述べている。「ここでぼくがある一つの単語だけを発して、むこうが言葉をもっているかどうかということはわかりません。こちら
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