午後、水飲み場で/nm6
ポンジュースが出るという噂と、狂おしいほどいつも通りの日々。例えば、そんな愛媛で風景している校庭が、東京の夕暮れの向こうにある。午後、水飲み場で、挨拶は永遠にすれ違っていく。すべてはほんの少し過剰気味で、ぼくらも本当は、知らないままがいい。
運動部が左右される季節と、照り返しては遠くなっていく日々。例えば、そんな北海道で風景している校庭が、東京の曇り空の向こうにある。午後、水飲み場で、後悔ははるか前方に立ちつくす。すべてがほんの少し不足気味なら、ぼくらも本当は、知らずにいられたはずだ。
「それを思い出すと、今、自分が言い出そうとしていることが、
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