駅・橿原/たりぽん(大理 奔)
から数年たったでしょうか。もう三十を迎えようとする春の日。私は石舞台の桜が見たくなって一人懐かしい改札をくぐったのでした。なぜ石舞台だったのかは思い出せません。桜は満開でした。石舞台を見下ろす高台から見下ろすと桜は私の歩いてきた道伝いに列をなしていました。駅までそれは途中、途切れとぎれになりながら、それでも生命の川を辿るように。飛鳥の桜がどこの桜よりも輝いているように思えたのはすこし西に傾いた太陽のせいだったのでしょうか。
ふいに夕日の影に「あまがしのおか」に登ったあの二人が思い出されました。赤い丸渕の眼鏡やボーダーに水玉のロングスカートが思い出されました。そして、どうすればどうすれば、この風景を二人に伝えられるだろうかと思うと、静かにかなしい気持ちになりました。それはなぜかとてもかなしい気持ちだったのです。
駅に戻ると、もう授業が始まってる時間だというのに、制服姿の学生が楽しそうでも寂しそうでもなくシェイクを飲んでいました。道の途中、ちっぽけな食品スーパーはもう、なくなっていました。
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