記名の呪縛/岡部淳太郎
 
板についてきてしまっている。一時期は本名で書こうかという気持ちも多少はあったものの、岡部淳太郎として認知されてしまっている以上、そう簡単にこの名前を捨てるのも惜しいような気がしないでもない。結局、私は私の筆名に呪縛されているのではないかと思うことが時々ある。たとえば、私が詩なり散文なりをネットや同人誌などに発表する際につけられた岡部淳太郎という名前を見れば、そこからたちどころに私がこれまでに書いてきたものの総体が付随してしまう。この名前を目にした瞬間、ああ、岡部淳太郎か、岡部ならあの程度のものしか書けないだろうなどと思われて、岡部淳太郎という名前を基準にして書かれたものの中身が判断されてしまうのだ
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