一端から一抹へ。/秋津一二三
あえず下手くそでも良いから一作書いて自身を見直さねばなるまいという意図からであるし、その次の一端はasqが参加していたスレッドがやっと終わりに近づき、詩の採点者、レッサーとしてのひとつの役を終え、それは対称化して何であったのか、やはり自身を見直さねばなるまい、という意図からである。どう在るか、何のために在るか、はネットという柵の薄いところであるからこそ、尚更考えなければならぬことである。ゆえに、この文も見直しという意図が多分にあるし、一端に頂いたレスポンスに半ば対する形を導入してようやっと書けたものである。
見直しを終える時があるかは分からぬし、終えたときに書き手として在るに足る理由が残るかも定かではない。しかし、先にいったようにどの私も自身はがらんどうではないか、と思っている。そう思ってしまった者は、語ることにすら理由がいるのである。その理由が如何様なものであれ、自身で否定しきれない理由がいる。懐疑主義者が騙すべき相手は、まず自分自身なのである。
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