批評祭参加作品■怠惰な物差し ??あるいは違犯と視線について/岡部淳太郎
代という時代の複雑さは人々を等価にする。昔ならば富豪と貧者の間には明確な線が引かれていたかもしれないが、現代にはそのような明確な区分は存在しない。だから誰もが一夜のうちに英雄になれると同時に、違犯者として落ちぶれてしまうこともありうる。違犯者を眺める視線が怠惰であるのは、彼が違犯しているという「いまこの時」しか見ていないからであり、もしかしたら他にありあまるほどの美点があるかもしれないのに、違犯しているということのみによって彼の全人格を規定しようとするからだ。そのような視線を送っていた者が、違う時や状況の下では新たな違犯者となってしまうかもしれない。明日はわが身なのだ。人を図式化して見るのは真の理解ではなく、狭い自我への退行である。あまりにも多くの他者が生きている社会においてすべての見知らぬ他人への理解を望むことは不可能であろうが、願わくば、他人に対して礼を失することのない優しい社会であってほしいものだ。
(二〇〇八年一月)
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