批評祭参加作品■僕たちの罪は、どうすれば癒されるのだろう/2TO
改訂」という差異化の運動は、作品/作者といった区別を(逆説的にではあるが)巻き込み、「書かれる(べき/ための)平面」としての「余白」、あるいは「内在平面」として解消させる。「まいそう」においては、「改訂」によって作品形式の構成が変化しているが、それは狭められると同時に拡張されるような「余白」の砂原において持続するのである。そして、そのような「内在性の浜辺」において、「まいそう」における存在者は「かいがら」としてのBAROQUE*9として、「ひとつでありながら、ひとつでなく、バロックはすべてのもののなかに」*10ある。なぜなら、「まいそう」されるものは「かいがらに埋もれてしまうだろう」(第三連)から
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