批評祭参加作品■僕たちの罪は、どうすれば癒されるのだろう/2TO
 
なもの」、「自由な存在/鎖につながれた存在」、「隠されたもの/明らかなもの」といった弁証法を強調している*5。それは彼の「もっぱらイメージを想像力の過剰と見なす方法」*6によるものだが、この弁証法を別のところで「(現実的なものと想像的なものとの)交互の状態を生きるだけでなく、現実が夢の一潜勢体であり、夢が一現実であることが理解されるアンビヴァランスにおいて、これらの状態を統一すること」*7としている。バシュラールにおける「弁証法」なる語の用法について深入りはしないが、彼にとっては「現実的なもの/想像的なもの」(あるいは「主観的認識/客観的認識」とも言えるだろうが)との交叉する統合の地点にあるものこ
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