批評祭参加作品■僕たちの罪は、どうすれば癒されるのだろう/2TO
 
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 身投げした「奇形児たち」は、海の水のなかにあって、その肢体のとどまるところを私たちは知らない。それはバシュラールの指摘の通り、あるいは「あおいはねの蝶が鱗粉をまき散らして」(最終連)いるように、分散した状態にあるのかもしれない。しかしながら、そのような分散は、砕かれた「かいがら」を「まいばん、棺にかいがらをはりつけていくこと」(第三連)という行為によって、あいまいな「祈り」のもとに集約される。しかも、その「祈り」はエクリチュールを伴わない。それは砕かれた「かいがら」を「かれら」へとして贈/送ること、ただそれのみである。あたかも「綺麗な水」という結晶を、イライザあるいは同相の存在者であ
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