批評祭参加作品■余白について考える試み/岡部淳太郎
れば、読者はタイトルと本分を区別出来ず、作者や編集者がタイトルであるとした部分も本文の一部と見做してしまいかねない。だから、ここでの余白は単にその両者を区別するために設けられているに過ぎず、それ以外では読みやすさへの配慮といった意味ぐらいしかないだろう。散文とは住宅密集地のようなもので、そこに未使用の空間が生じることをなるべく避けようとするものだ。また、小説の会話部分などで紙の下の方に目立つ余白が生じることがあるが、それもそういう書き方が慣習になっているという程度のことで、それ以外の文学的な意味はないのが通常である。それに比して、短歌の余白はどうか。歌集『暗室に咲く白い花』は一ページに二首の短歌が
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