批評祭参加作品■「 この際なので批評祭の主催者をちょっぴり意地悪くイジってみる。 」/PULL.
 
い」のなら、「戦場」だの「ニヒリスト」だの「サン=テグジュペリ」だのといった「便利な薄っぺらい道具」を使うのではなく、もっと臭いのする、くさい、体臭のする「道具」あるいは「肉体」を使って書く方が、この作品にも、作者にも、向いているのではないか『僕にあなたが触れること。あなたに僕が触れること』とはそういうことなのではないか(「満員電車」の例えの部分はもっと「抉って」書くべきだし、筆者は「それ」を読みたい)。

 とはいえこれさえも、こんな文章さえも、手垢の付いた「どこかで読んだことのある聞いたことのある」オリジナリティーのない幻想のような屁理屈にすぎない。しかもいくらどんなことばで書いて伝えたところで、相手に、誰かに、「読んで」もらえなければ、書いたことすらもないただの「幻想じみたひとりごと」になるのだ。
「触れる」ことはできなくても、「読む」ことも「読まれる」ことも「ここ」ではできる。投稿の後、これは筆者の「幻想じみたひとりごと」で終わるのだろうか、それとも、












           了。


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