批評祭参加作品■気分と物語/岡部淳太郎
しないから、それを覆すのは至難の業ということになってくるのだ。
それにしてもどうして人々はこうも物語を求めてしまうのかと不思議に思うのだが、それは恐らく人々の生というものが昔もいまも変らずに味気ないものだからなのだろう。現代にあっては下手に物語が溢れ過ぎているぶん、人々はそれに触発されるようにしてなおさら物語を求めてしまうようなところがあると思われる。物語を渇望し物語に触れることで、人々はますます詩から離れていく。世に氾濫する数多の物語に比して、詩は人々の頭の中で徹頭徹尾「気分的なもの」として認識され、求められもしなければ顧みられることもない。どうやら現代日本において詩は無用の長物であるらしい。だが、世界は思わぬところで詩的な姿を垣間見せることがある。世界そのものは物語的であると同時にきわめて詩的でもあるのだ。人々にとって不意打ちのように訪れる世界の詩的側面を思えば、詩は死んでいるように見えて、その実深く潜行して地下水のように人々の心の中に眠っているのだということが出来るかもしれない。
(二〇〇八年一月)
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