あの頃/石畑由紀子
信号を無視してあらゆる交差点を渡った 緩慢な自殺未遂もことごとく失敗に終わり
裁縫バサミで刺した腕の傷も今はもうほとんど目立たない
つながれた大型犬が吠える それにつられて隣の家の
つながれた小型犬も吠える なんだか誰かに似ている
記録的な猛暑だった 37度の中を彼のアトリエで
クーラーもなしでベルベットシーツの上に裸身で横たわりポーズをとっていた
そのとき描きあげたばかりだった静物画には
私が食べてしまったはずの六花亭のショートケーキが今もそこに在る
肖像画となって胸を張る亡き人物のように額に収まって
コップ半分の水、なんて例え話はもう聞き飽きた
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