ルーアンの鐘 /服部 剛
 
れた。それらの人々は、机上
    のランプに照らされた白紙の原稿用紙の中に
    顔を並べ、いつまでも彼に微笑みかけていた。 

    机の前の壁には、一枚の絵が掛けられていた。
    額縁の暗闇にうつむくその顔は不思議な光を
    帯び、遥かに遠い過去から何かを彼に語りか
    けていた。その声に音は無く、誰も座ってい
    ない椅子には、在りし日の作家が机に向かう
    背中が、うっすらと透けて見えた。机上の隅
    に置かれた写真立ての中で、作家が誰よりも
    愛した母が、ヴァイオリンを弾いていた。 

    背後の壁に開いた窓に青空は広がり、何処か
    らか鐘の音が聞こえてきた。それは若き日に
    作家が青春の日々を過ごした、ルーアンの丘
    で聞いた鐘の音に似ていた。 







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