美/ケンディ
 
の目の前に出てくる現象のうちに
お前は美の痕跡として現れたりするからです。
理念的な美はなかなか把握できないものだと
思っていたのですが。
私は理念的な美が円満具足に
肉化することについてあまり考えなかった。
美は、腕の折れた古代の彫刻や、
鼻のもげたローマの彫像のような不完全なものに
痕跡として宿るものなのだと考えていました。

ガラスの破片が散らばっているとして、
それに光を当てる時にだけ見える、
プリズムのように、理念的で完全な美は
かろうじて触ることしかできないのだと。

お前自身が美の形式だと思われそうな表現の仕方をしてしまいました。
そういうことを言っているわけでもないのです。
ただ私は、痕跡の原初を求めてお前へとさかのぼろうとする。
美は、私の目の前にある《イコン》と、
《お前》という集約点と、
イコンからお前へとさかのぼろうとする《私》の情念の作用
――この三者の間に
ふと立ち現れるのです。

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