幸福な名前/千月 話子
 
ラ・ヴィ・アン・ローズ  人生はバラ色

パリの空の下 古いレコード店から
軋むように 歌が流れる

日本からここに辿り着いた初老の男は

晴れた日には セーヌの流れを聞きながら
カフェのテラスで クロワッサンにハムとHを挟んで
カフェ・オレで喉に流し込み

雨の日には ブローニュの森を
しんしんと 散歩しながら
濡れた緑に 足とHを沈め

早朝には 青空に映える
白亜のサクレ・クール寺院の聖堂で
祈りとHを 捧げる日々を送っている


フランスで H を発音されない男は
パリ・ドゴール空港の入国管理官に名前を預けた

林氏は ムッシューAYASHIと呼ばれ

モンマルトルのアパルトマンで
バラ色の ワインを飲みながら
ふわふわした フランス人の話を楽しみ
新しい名前を呼ばれる度に 微笑みながら
心の中で こう唱える

ケ・セラセラ  何とかなるさ  と

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